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【時視各角】それで刺し身はもう食べないのか=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2023.05.26 11:20
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大統領室が6カ月ぶりに国会に出席したという24日の国会運営委員会は夜中12時まで続いた。5時間20分、短くない時間だった。よく知られているように福島原発汚染水問題をめぐる論争が激しかった。発言者が変わっただけで似た問答が繰り返された。

「国際原子力機関(IAEA)は汚染水を検証して判定するところではない。日本が採取した試料をどう信じるのか」

 
「試料を採取したのはIAEAだ。米国など各国に分けられる。我々も3回受けた」

「IAEAにすべて預けるのか」

「韓国からも2人がIAEAに参加している。米国・英国などと共に我々もチェックしている」

「それでも直接採取するべきだった。日本がIAEAの許可を受けて汚染水を放出すれば、日本水産物の輸入を再開するのか」

「それは別の問題だ」

引用が長くなった。表現や程度が変わったけで当分は向き合うことになる問答だからだ。

汚染水問題は一種の複合葛藤だ。まず「核廃棄物」という属性がある。危険性を評価する私たちの頭脳を「焚き火を先端技術、野牛の革を高級衣類と感じた先史時代の人間と変わらない」(『理由のない恐怖』)という。「原始人」である私たちに核は根源的な恐怖感を呼び起こす。16世紀のパラケルススの説明(「すべてのものは毒であり、毒でないものなど存在しない。その服用量こそが毒であるかそうでないかを決める」)のように、あるかないかではなく、どの程度あるかが重要であるにもかかわらずだ。

米国物理学会が低温核融合の非現実性を大衆に理解させることはできなかったが、高レベル放射性廃棄物の処理を前向きに見るようにするのに失敗したこともある。

ここに日本フレームが重なった。日本をどう信じるのかということだ。汚染水の危険性を低く評価する人たちにはよく「親日派」というレッテルが貼られたりする。政治的な動員もある。特定の政派がずっと危険性を誇張する。

実際に危険なのは2011年の事故から数年間だったはずだ。浄化されていない汚染水が海に流れた。海流からみて最初に到達するというカナダのある学者は2017年にこのように評価した。「北太平洋近隣の海洋生物や人間に深刻な脅威となる水準には達しなかった。最高水準(2015-16年)の時期も地上核兵器実験が禁止される前の1950年代後半と60年代の北太平洋で見られた汚染の約10分の1だった。現在は70年代と似た水準であり、その後はさらに減少するだろう」。

文在寅(ムン・ジェイン)政権当時の2020年、国務総理室傘下のタスクフォース(TF)が作成した「福島原発汚染水関連現況報告」も変わらない。「2019年まで調査した結果、原発事故以前の濃度と似た水準の放射能濃度が国内の沿岸で測定された。(日本が)汚染水すべてを毎年処分するという仮定で評価した結果は、自然放射線による被ばく線量の1000分の1以下」と記述されている。韓国に実質的な被害はなく、今後もないという分析だった。当時、首相室は報告書の存在が明らかになると「一部の専門家の意見」と縮小した。「政治」をしたのだ。

元々、より安全にすることは可能だが、絶対的に安全にするのは可能でない。汚染水問題も同じだ。今回はいろいろな背景までが重なった。多くの人々が不安を感じるはずで、また多くの人々が不安を増幅させるだろう。当然支払うべき費用、それ以上を支払うことになったりする。私たちの社会全体がだ。最近、群山(クンサン)で刺し身店を経営する80年代運動圏出身のハム・ウンギョン氏はSNSに「水産業者だけがつぶれることになりそうだ」と書いたが、12年前にも水産業者らが苦労した。

ハム氏に連絡を取ったところ、このように話した。「すでに問題が発生しているのなら12年前に発生していたはずだが、今になって大騒ぎするとはもどかしい。科学者が(問題ないと)言っても(一般人は)気になって避けるだろう。政府が収拾すべきであり、人々も巻き込まれるべきではないのに…」。心配だ。

コ・ジョンエ/chiefエディター

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